SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

なぜ人は急ぐのか


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都会と田舎を行ったり来たりしてると、その違いを分析したくなる。

車が無いと生活できないエリアに住んでいるが、車生活というのは結構なストレスを孕むもでのある。

都会は電車でどこでも行ける。確かにギュウギュウの満員電車はつらいが、それでも定刻に出発して定刻に到着するのだから、その間の時間だけ我慢すればいい。逆に車移動は人と人とのぶつかり合いであり、渋滞にハマるのは長蛇の列に延々と並んでいるのと同じだし、しかも全員目的地が違うので、到着目安時間も測れない。これは相当なストレスだと感じる。

 

ただ、都会の人間は色々とせわしない。

都会ではよく駆け足で走ってる人を見かける。特にサラリーマンやOLみたいないい大人。ヒールを履いた女性が必死に走っている姿は異様に見える。田舎では走っている人なんてマジで中高生くらいで、大人が必死な形相でダッシュしてたら、何らかの事件に巻き込まれてるか、頭おかしいかのどっちかだと思われる。都会の人間が走っている理由は、何かと時間に縛られる機会が多いからだ。たとえば電車なら、一本乗り遅れたら終わり、エスカレーターの先頭グループに入れないと終わり、売店のレジ待ちに1人分待たされたら終わり、と色んなタイムリミットがある。寝坊などの時間管理を誤って電車に乗り遅れるというのは明らかな自分の怠慢・ミスであり、言い逃れできない。遅刻を叱責する側もそれを追及しやすい。だからみんな、間に合わせるためにひたすら走る。都会はガチガチに時間で縛られたスケジュールに則って世の中が動いているので、人々に余裕が感じられないような気がする。

昨日駅のパン屋でのんびり品定めしてたら、赤子連れの女性に物凄い勢いで目の前に割り込まれ、そのまま会計中のレジに商品を置き、10秒ほどで走り去って行った。なんてせわしないのだ、こんな小さなことでストレスをみんな感じてるのか、と考えてしまった。

 

そういう意味では電車をほとんど使わないような田舎は、良い意味で時間にルーズである。極端に言うと、時間に追われるほど予定を入れられる施設もイベントも無い。何時までに行かなきゃ!で行くところが少ないのだ。おそらく時計を見る機会すらあまりない。明るくなったら起きよう、暗くなったら帰ろう、でわりと生きていける。というかそれで生きている人の割合が多いから、列に割り込むような人もいないし、走る人もいないし、おだやかだ。正直自分は、時計を見ること=ストレスだとすら感じている。

 

となると、車の渋滞くらいでは田舎の人間はそんなにイライラしないし、遅刻してもそこまでボロカスに怒られることも多くないと思う。みんなハワイみたいなリゾートでのバカンスを求めるのは、少しでも時間から切り離された生活を望むからなのだな。

理想のストレスフリーな生活とは時計の無い生活であると定義づけさせていただきます。

 

時間と自己 (中公新書 (674))

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