SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

家の前の道すら全てを踏みそびれながら

「あのときにああしていれば」と選ばなかった先の人生に想いを馳せがちである。

でもああしていれば最良の人生だったかどうかなんて言えない。あっちの道を選んでたら事故って死んでるかもしれないとか、今の道を選んでいるからこんな辛い思いをしているのだろうとか。それに答えはない。

今が本当に悪いのかどうかなんて言えない、その先を知らないうちは。ただ人生は選択の連続で、人生を振り返るとその選択の結果しか残ってない。良いことも悪いこともそれが全部自分の責任としてのしかかってくる。しかも人間には未来を見ることができない。だから人生は基本的には辛いに決まっている。

自分は喪失することが苦手で、物を捨てるのも苦手である。物に自分の記憶が多少なりとも乗ってると、それを捨てることは自分の身体の一部を切り落としているように感じる。ゴミでもちょっと捨てるのを躊躇う。そんな自分にとって誰かの死はえげつなくキツい事象である。喪失すること自体が半端ないストレスなのだ。生きてると色々得るが、その分失う。出会いの分だけ別れがあるというやつ。世間では無条件で出会い=素晴らしいと説かれがちだが、出会いの喜びより失う辛さのほうがでかいから、自分はそうは思わない。

ただ、所詮自分なんてこの世界の切れ端でしかないし、その自分すら誰かや何かの懐かしい切れ端の寄せ集めにすぎず、誰かの人生のつらなりの中で出来たものでしかない。そんなつらなりの中で、宿るものがある。その宿ったものが綺麗に見えたら、それはまた自分の中のひとつの生きる理由にしてみてはいいのではないだろうか。そうやって強く生きてきた人がいたから、今のあなたがいるのかもしれないよ。ということを、カラーで描かれた最終回の見開きを見たとき泣いてしまった。

『すずめのおしゃべりを聞きそびれ、たんぽぽの綿毛を浴びそびれ、雲間よつくる日だまりに入りそびれ、隣に眠る人の夢の中すら知りそびれ、家の前の道すら全ては踏みそびれながら、もの凄い速さで次々に記憶となってゆくきらめく日々を』そうやって世間の片隅で死んでいく人生だとわかっていても、幸せだと微笑むことができるなら。やるかやらないかで悩むくらいなら、とりあえずその先を覗いてみたらええのではないか。せっかく今は生きてるんだから。

とか、思わされた。凄い本だった。映画だけではなく、読むべき。

 

 

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

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この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

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