SOUTH PARKの住人

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平成狸合戦ぽんぽこを観て、思い出しておくれ

故・高畑勲監督作「平成狸合戦ぽんぽこが金ローで放送されていたので久々に鑑賞した。f:id:southparks:20190406174949j:image

小学生の頃この映画を観たときは正直ほとんど意味が解らず、狸の化けシーンの画面の賑やかさと、金玉で空を飛んだりするのを見てなんとなく楽しんでいたレベルだった。映画館で買ってもらったパンフレットがまだ綺麗な状態で実家にあるのが、少し自慢である。

スタジオジブリ作品は歳を重ねるにつれ、どんどん深く刺さってくるようになる。見返すたびに、そもそも子どもを対象にしてないのだなと常々思う。アニメなんて子どもやオタクが観るものという認識が主流だった時代に、宮崎駿高畑勲は大人に向けた文芸映画、社会派映画を描く手段としてアニメーションを取り入れていたのだ。

 

その中でも『平成狸合戦ぽんぽこ』は社会風刺の色合いが強く、自然破壊等へのメッセージが結構露骨に描かれている。スタジオジブリ作品が「説教臭い」だとか「共産主義的だ」とか言われるネタの1つとして取り上げらる際に名前が挙がりがちで、公開当初は興行もイマイチだった分、あまり高い評価を受けてなかった今作。

けど自分は子どもの頃に劇場に観に行ったという補正もあるが、かなりお気に入りの作品である。今回社会人になって初めて観たが、前回の3倍くらい泣いた。

 

ストーリーは、ニュータウン開発による山や森林の伐採によりそこに住む動物たちが居場所を失っていく、人間と自然の共存への問いというよくあるテーマである。この手のテーマの作品ではだいたい、人間側の深い業や驕りが大自然の強大かつ神性な力の前で敗れ去り、「やっぱり人間は自然には勝てない」となる展開になることが多い。『ドラえもん雲の王国』とか『アバター』とかジブリでは『もののけ姫』もその類だ。

ちなみに自分はそれらの作品たちも好きである。啓蒙の内容が好きというよりは、これらの作品は原作者の想いが強く乗っていて、総じてクオリティが高い。その思想に同意するかどうかではなく、製作者の強い意図が込められていることによる作品力の高さと熱さが好き。

話は逸れたが、この『平成狸合戦ぽんぽこ』は、個人的にそのメッセージの説き方が非常に考えさせられる作りになっていて、鑑賞するたびに気付かされることが多い。特に味わい深いのは、今作は人間を悪とした勧善懲悪モノではないところである。

終盤で、狸たちが人間に挑んでは、車に踏み潰され、駆除され、次々と玉砕し命を落としていき、「人間には勝てない」という結論に至る。自然側が敗北するのだ。そして狸たちは人間と共存していくという道を選ぶことになる、狸にとってはバッドエンドである。f:id:southparks:20190406175838j:image

「トホホ、にんげんにはかなわないよ」と呟きながら散っていく狸たち。胸が詰まる。この描き方は一歩間違えたら、人間のエゴが強すぎて強烈に不謹慎な内容にやりそうだし、逆説的に人間に罪悪感を抱かせるための嫌味な作品にもなりかねない。

 

そして、最も賛否両論があるっぽいラストシーン。登場キャラの一人のぽん吉がこちらの画面側に向かって語りかけてくる場面。

あの… テレビや何かで言うでしょう

「開発が進んでキツネやタヌキが姿を消した」って

あれ やめてもらえません?

そりゃ確かにキツネやタヌキは

化けて姿を消せるのもいるけど…

でもウサギやイタチはどうなんですか?

自分で姿を消せます?

 

げぇー説教くせえ!と結構な人が感じるだろうセリフ。確かにこれは明らかに高畑勲監督の言葉であり、こっちに向いて語りかけてくるなんて、ちょっと露骨にやりすぎじゃね?って思うのは無理はない。

知恵袋とか見ると考察がいくつか載っていて、「消えたんじゃなくて消されたんだということ」「まだまだ狸はいるんですよというメッセージ」「動物たちの犠牲があって今の社会は成り立っているという告発」など考察が書かれてる。

 

でも個人的に、本作で語られているのはそんな一方的な啓発ではないと思っている。

一つの例として、終盤で人間に敗れ去った狸たちが、最後の抵抗として、自然が豊かだった時代の風景を化かして見せる場面がある。あれは狸たちから人間への警告だが、それを見た街の人々はその景色にノスタルジーな想いを抱いてしまうのだ。自分たちが奪ってしまった自然と共存できていたあの頃の姿が、懐かしく美しく見えてしまうという皮肉な演出である。(音楽とか演出が相成ってむっちゃ泣ける)

ただ、高畑勲監督は、今すぐ自然破壊をやめろだとか、動物たちを守れとか、都市開発は悪だ、などを直接訴えるわけではなく、かつてそこで生きていた人々、自然、動物たちがいた時代を、忘れずに覚えていてほしいということを投げかけていると思っている。

人間が生きるために自然を少なからず奪ってしまうことは避けられない。だが、「動物たちは姿を消しました」と過去にするのではなく、かつてはそこに生きていたことを思い出してほしい、と伝えているのだ。

人間として生きることを選んだ狸の正吉が、深夜のゴルフ場で宴を開く仲間たちと再会し、人間の皮を脱ぎ捨て歌い、踊り、ささやかなその生を謳歌するラストはいつ見ても爆泣きする。そしてエンディング曲の『いつでも誰かが』で、繰り返し「思い出しておくれ」と語りかけられるのだ。(それがまたドチャクソ泣ける)


【高音質】いつでも誰かが - YouTube

 

この映画が、ただ単に動物(自然)と人間を争わせて、優劣や善悪を作者視点から押し付けるわけではないところが、本作が非常に高度なイデオロギーの下で描かれていると感じる所以である。あとは観客一人一人が想いを馳せれば良い。

そしてこの絵と物語と音楽で観客に感じさせる力こそが、高畑勲の真骨頂であり、アニメーションの真髄である。その技術は監督の遺作となった『かぐや姫の物語』にて神域レベルに達することになるが、それはまた別の機会に。

ちなみに今自分が住んでいる家の周辺は山なので、リアル狸はわりと見かける。そんな時にまた「こいつらたくましく生きてるんだな」と思い出すのです。そうやってみんながちょっとだけでも思い出すだけで、少し何か変わるんじゃないかな。そんな高畑監督の願いを受け取った次第です。


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