SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

大の大人が無闇に走るな

駅で走ってる人を見ると、何とも恥ずかしい気持ちになる。


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制服姿の学生ならまだしも、スーツを着てるような大人が、ぜえぜえ息を切らしながら、他の人を蹴散らすようにダッシュしてるの姿は「私は満足にセルフコントロールができていない人間です!」と宣言しているのと同じではないか。

まあ自分も大人になってから走ることはある。でも、人にぶつかったり、走らなくても間に合うような距離で走ったりするほど冷静さを欠いたことは無いと思う。

歩いても間に合うような駅の乗り換えとかでダッシュしてる人が必ずおり、そしてそのダッシュしてる人を見て、「ヤバイ!私も!!」と言わんばかりに焦った後続が続々と発生する。何なんだろう、この人たちは時計を持っていないのだろうか。発射アナウンスがまだ鳴ってないのを聞いてないのだろうか。

つか、まず大の大人が全力疾走する危険性をわかってないんだろう。7、80kgあるような肉の塊が全力疾走(時速20kmくらい)するなんて、マジで危ないんだよ!!しかも、走ってる自分に酔ってる馬鹿っぽいのもチラホラいるのが本当に腹立たしい。「走ることで朝の自分にスイッチ入れてます(笑)」みたいなゴミクズはいねえだろうな?とにかく、朝っぱらから人にぶつかってまで走ってる奴は、情けなく、惨めに見られていると知れ!!

 

と、罵詈雑言を放ったものの、そもそもなぜそんなにみんな急ぐのか。なぜそんなに時間がないのか。

度重なる残業のせいだったり、交通インフラの問題だったり、東京一極集中化がもたらすものだったりと、社会的問題も関係しているだろう。それでいて、時間の遅れにこの日本という国は全く寛容ではない。遅刻=ダメな人間であると、小学校の頃から刷り込まれている。

この1本を乗り過ごす→遅刻する→遅刻したら死

という図式が成立する以上、駅ナカダッシュをする大人たちは、この日本社会に蔓延したストレスの象徴なのかも。

そもそも遅刻とは、他の第三者との間に約束された時間に自分が間に合わないことを意味し、それの多くは、他人の時間を奪ってしまうことに相当する。時間という概念は、何よりも厳しく、絶対的にゆるがない社会のルールであり、それは激しいストレスを生んでいる。

本当にストレスフリーな社会とは、時間に全く縛られない世界、時計が無くても生活できるような環境なんだろうな。間違いなく時間を意識する頻度とストレスは比例している。だって楽しいときは時間を忘れているでしょう。

なんか序盤の内容と着地点がブレてしまったが、ストレスに悩まされている人は、時間に追われることが比較的少なく、無闇に走らなくていい生活や仕事などを考えてみるのが解決への近道かもしれない。


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