SOUTH PARKの住人

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考えさせられている

『ジョーカー』観た。

政治的、時事的問題を扱う作品のレビューでは決まって「考えさせられました」っていう感想が飛び交うが、自分も今回は本当に考えさせられている。

とにかく今作は日本人は観るべきだと思った。1981年のアメリカを舞台にているが、悔しくも2019年現在の日本の問題を色濃く映し出しているように思える。

最近、現代の日本人の抑圧された想いはどこに吐き出されているのだろうかと考えていた。必死になることは格好悪いという風潮、SNS上で雁字搦めに束縛し合う人間関係、政治には無関心、着実に開いていく貧富の差。現代日本は権力あるものだけが生き易い国になりつつあり、力なき者は数の暴力により発言を封じられる。この不健全な国の現状が改善される未来は見えてこない。

こうして国民が言葉なき怒りを溜め込んだ先にあるのは何か。渋谷のハロウィンが暴徒化していることにマスコミは「意味無く暴れるバカ者たち」と一蹴しているが、本当にそうなのか。あのバカ騒ぎには本当に意味は無いのだろうか?あれこそ、抑圧された人々の真の姿の一端ではないだろうか。

どこかでまだ「日本人は暴力を好まない大人しい民族だ」とみんな思っている気がする。それは実は幻想で、みんな混沌を強く求めているのではないだろうか。ハロウィン騒ぎは小規模ながら革命運動のようにも見えてしまう。普段静かにしている人たちが、群衆化したら周りを省みず騒ぎを起こせる。あの力で人々が暴徒化したら果たして止められるのか?今はSNSやネットで「あんな必死な奴らはサムい」と蓋をしているだけであって、いつかその押さえつけたツケは香港のデモのように爆発することになるのではないかと思う。

池袋轢き逃げの老人を日本中が袋叩きしている。自分もあの老人を擁護するつもりは1ミリも無いが、正義が我が手にあるとしたネットの集団は、本気で対象の死を望んでいる。まだ直接手を下していないだけで、いつか行動に移す奴が現れたとき、どうなるのだろう。

日本こそ『ジョーカー』のような、停滞した日常の破壊者がいつ生まれてもおかしくはない。そんな未来が近づいていると感じてしまう、今日この頃。

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今この映画が作られたことは、非常に意義深いと思います。