SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

疎遠を選択してしまうクセ

人間関係が長く続かない。

こんな想いを抱いている人は多いと思う。自分も実はそのタイプだ。

特定の時代ごとにカテゴライズされたような友人関係が存在し、その期間が抜けてしまうと、関係が終わってしまう。いわゆる疎遠になるというものだ。

 

小学校の友人、中学校の友人、高校の友人、バイト先の友人、職場の友人。それぞれにかつて存在した友達の中には、一生の付き合いだと当時は疑わなかった者もいた。けど、いずれも現在はほとんどが繋がっていない。

 

世の中のみんなはどのようにして長く続く友人関係を維持しているのだろう。小学校の頃からつるんでる地元の仲間、みたいな存在と、30も超えてまだ地元で集まって酒を飲み交わすなんて、正直凄いなと思う。もし自分がそこの輪に突然入ったとしても、価値観も合うはずがないし、それぞれの歴史を汲み取って気を使って話すこともできないし、会話が弾むわけがないと思えてしまう。

あと昔の知り合いに会うことで、現在の自分の価値観を侵食されてしまう感覚も好きではない。自分は常に「現在の思考が最も優れていて、最も大人である」という想いがあるので、同窓会の類は昔の幼稚だった自分をほじくり返されるような気がしてしまう。

 

自分は人生の中で友達が少ないと思ったことは一度もない。常に今の友人関係はベストだと思っているし、不足なんて感じることは無い。でも、俺は友達が多いよ!と今胸を張って言えるかというと全くそうではない。世間で言う「友達が多い人」というのは、「昔の友人関係を常に維持しようと努力している人」のことだと思う。それは飲み会に参加したり、同窓会に参加したり、SNSでどんどん繋がろうとしたりする努力だ。自分はその全てを放棄している。

 

「久しぶり、元気してた?」みたいなやりとりが苦手だ。数年会ってないとなると、お互いにそれぞれに新しい人間関係が生まれているだろうし、その間にあった溝を埋める確認作業に興味や面白みを感じられない。今小学校の友人と再会したとて、考え方も話題も変わっているだろうし、目の前で繰り広げられる俺の知らないXさんの話題に「そうなんだー」と上手く合わせることができるとは思えない。

そんな未来を想像してしまうと、自ら再会の場に足を運ぶことは無くなってしまった。勿体無いのかなと思うこともあるが、気分は乗らない。

 

でも、今でも会えるなら会いたいと思う人はいる。きっとあいつなら今の自分でも当時と同じように話せるんだろうな、と思える人だ。そういう友人は、環境が作り上げた擬似的な友人ではなく、本当に心から気を許していた友人で、本当に信用していた人間だったのかもしれない。

 

それでも多分連絡は取らないだろうな。それを後悔する日がいつか来てしまうのだろうか。会いたくても会えなくなってしまうこともあるのに。

けど、今も都会の人ゴミの中を歩くたびに、こんなところで偶然ばったり会えればいいな、と期待したりはしているよ。

 

疎遠(2019 After 6 Junction ver.)

疎遠(2019 After 6 Junction ver.)