SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

まじで納豆が売ってないのと邦画のレベル低下

茨城県でまだコロナ発症者が出てないから「コロナには納豆が効く!」っていうデマがSNS上で広まり、ガチで納豆が日本中で品薄になったとか。


【新型肺炎】売り場に納豆がなくなっている写真投稿 感染予防に効果とのデマが影響か|ニフティニュース

 

 
日本人って馬鹿になっちゃったの?(´・ω・`)

 

 

 

『翔んで埼玉』の世界の中の人くらいの脳の水準かよこれ。さすがに辛辣だから顔文字を入れましたよ。もしかしてこれって邦画の低レベル化の功罪ですかね?(怒気強め)

いきなり話がぶっ飛びましたが、全く関係ないとも言い切れないくらい、最近変な笑いの邦画が真面目に評価されちゃう世の中になって、常識のレベルが狂いまくってるんですよね。コメディ映画がヒットするのは喜ばしいことだとは思うけど、台頭してる作品の質が低くねえかと。主に福田雄一作品とか。

 

アメリカのコメディ文化とかって、スタンドアップコメディとかが土台にあるから、どんなネタであっても、そのスタイル自体が気を利かしたジョークだとみんな理解して笑ってますよね。分別のついた人がわざと頭のおかしいことをやってるのが皮肉で滑稽で面白いっていう向き合い方をしてるじゃないですか。

最近の日本のコメディ映画の笑いって、ジョークじゃなくてボケですよね。本来ボケってツッコミという説明役が存在しているからこそ、無茶苦茶突拍子もないこと言っても成立するわけで。でも最近の映画は、ボケっぱなしで客を置き去りにしていく漫才を長時間見せられている感じがする。

そもそも映画内にツッコミを入れるのはかなり高等技術だと思う。ネタを説明するっていうのは観客の想像の余地を奪ってしまうから、そもそも作劇の仕組みと相性が悪いんではないかと。

「いやいやそれって○○じゃねえかよ!」って映画の中でやられても、妙な予定調和感が生まれて作り物っぽさが増す気がする。そうなると物語への没入感も奪ってしまい、挙げ句に監督の顔とか浮かんできて冷める。お笑い芸人でもない人がそんなのを創作したって、当然のつまらない笑いが生まれるよねっていう。

もちろんちゃんと面白い邦画てのはありますよ。『カメラを止めるな!』とかは、前フリに対してのボケとツッコミを全てドラマの展開に必然性のある形で組み込んで、わかりやすい動きで見せてくれたから面白かった。例えリアリティが無くても意味があったから、無茶苦茶なドタバタアクションでも可笑しかったんだよな。

 

でも福田雄一作品とかを筆頭に、ボケの羅列に対してまともなツッコミのない漫才を、120分も見せてくるのが今の邦画という感じ。そこまで長くなるともうシュールなものとして脳は捉えられなくなる。人間がシュールさを許容できる時間には制限があると思う。個人的に松本人志の映画を見て疲労感だけ残るのはその長尺さに原因があると思うんだよな。たぶん松本人志も映画にツッコミの要素を入れるのが難しいと知った上で撮ったんだろうけど、お笑いの天才でもその最適解は導き出せなかったように思える。

だからと言って福田雄一みたいな「でぇー!なんだそりゃー!!」とか「それ違うんですけどー!!」とか脳死した言葉を並べるだけの映画は論外。ボケもツッコミもつまらない。でもそれがメインストリームとしてヒットするのが今の邦画なんだよな。世の中のネタや冗談に対するレベルの低下が起きてるような気がしてならない。

 

なんか話が逸れましたが、本当は何が言いたいかと言うと、

納豆が買えないんじゃ!!

という怒りです。私は納豆大好き人間なので買えないのが普通に困る。普段から食べてないような奴らがデマに踊らされて買ってると思うと余計腹立たしい。納豆なんて転売できないんだから(多分)、みんな騙されて買ってるってことだよね。頼むから好きな人だけ買ってください。f:id:southparks:20200312025951j:image