SOUTH PARKの住人

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水族館映画『ファインディング・ドリー』に感心する

久々に鑑賞。ドリーが両親と再会する場面で観て泣き倒しましたな。よくよく本当に高度な挑戦をしているなぁと感心するだけであった。

f:id:southparks:20210421222037j:image(推し)

 

 

海洋生物たちの実際の習性や特性をモチーフにしつつ、人間社会のあるあるネタに落とし込むという作りは、ジョークの手法としても秀逸である。

その上、障がい者の社会での生き辛さや、理解されずに苦心する姿を結構本気で描いており、ポリティカルコレクトネスの観点でも、他のディズニー映画と比べてやっつけ感が無く、割と正面から向き合っている。ドリーという前作の人気キャラを「忘れんぼ」から「短期記憶障害持ち」に転換するのは相当リスキーだ。前作も根底にはダークな背景があったが(シングルファザー障がい者の子どもの物語なので)、今回は「ドリーが記憶できない」という点においても、全編に渡ってトラブルのタネとなっており、より観客に踏み込んで訴えかけているように感じる。明るいビジュアルと比較して、ただ楽しいだけの物語では無くなっているが、それでも本気で問題提起したいという製作陣の真摯さが窺える。f:id:southparks:20210421223031j:image

前作と違って海洋施設のシーンがあるので、水族館好きとしては俺得なのだが、見た目の美しさだけでなくて、水槽ごとに社会生活の価値観や風土が異なっているのも面白い。

たとえば、たくさんの種類の魚の大群がひしめく巨大水槽の中では、ドリーに対して露骨に壁を作るような態度をする親子がいる。つまり都会的な他者を拒絶する社会が形成されている。人種の坩堝的なメタファーである。

逆に小さな水槽は村社会であり、同じ種類の魚たちが生息している。ナンヨウハギの群れの感じなんて完全に田舎のそれである。小汚い水槽にはホームレスみたいな魚がいたり、見世物のジンベイザメシロイルカはちょっと変わり者だったり。

あくまでも海洋生物の水族館でのリアルな生活風景を逸脱しないことを前提にしつつ、人間社会へのメタファーをギャグにするというのは、ピクサーにしか真似できない高すぎるセンスの表れである。

大人向けのブラックジョークのオンパレードで、何度見ても新たな発見がある。全体的にセリフはかなり早口で多いが、ドリーの忘れっぽいキャラクターのお陰で同じ単語を何度も繰り返すので、子どもでも理解しやすい。(英語の勉強にもなる)

こういうハイセンスな作り手にかかれば、カリフォルニアの水族館で八代亜紀がアナウンスしているなどという皆目理解不能なネタですら、アリなジョークとして成立させてしまうのだ。(言語ではシガニー・ウィーバーだが) いやぁ、やっぱすげえぜ。この映画は。

ジンベイザメシロイルカが住むグレートバリアリーフとか夢すぎる、夢にもほどがある。俺の天国はここがいい。