SOUTH PARKの住人

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ケンコバ「お笑い界は破滅する」 雨上がり決死隊の解散翌日に語った危機とは?(マイナビニュース) - Yahoo!ニュース

興味深いお話。

 

文化が洗練され突き詰められていくほど、結果的に衰退に向かっていくという話か。

ケンコバの言うようにファンを先鋭化させることを業界側から仕向ける流れは結構ある。本来はあくまでもニッチなオタク層でだけ語られるような話が、ネットやSNSなどですぐに一般層まで拡散するようになってしまった。

例えば映画界隈とか。映画秘宝福田雄一をボロカスに叩いてイーライ・ロスを称賛してたとしても、それは秘宝読者というものに向けられているだけであって、別に世間一般的な総意と言うわけではない。あくまでも秘宝の基本スタンスがそうなだけで、それが正解なわけではないのに、ネットに拡散すると少数派の声が際立つので、福田雄一クソが正義となってしまう。もちろん映画文化としての観点からするとイーライ・ロスの方が文化的価値は高いかもしれないが、福田雄一作品が日本で華々しい興行成績を叩き出している実績は事実である。そうやって福田雄一の映画に足を運ぶ人がたくさん居るからこそ業界は成り立っているのだ。(と言いつつ自分も最近の福田雄一作品は目も当てられないくらい嫌いですが) まあ映画業界は幅広いので、秘宝の記事くらいで、ファンの顕著な先鋭化が拡散することはないと思うけど。福田雄一の作品で稼いだ金で作られたIMAXシアターでノーランの映画を観てるんだぞ!!と肝に銘じておかなければならない。

 

「論ずる」とは「物事の理を示すように筋を立てて述べること」である(辞書より)。笑いのツボというのは個人の感覚に大きくされるが、「お笑い論」でそれを紐解いて語られ、特定の型みたいなものが周知されると、確かに間口が狭くなるようにも感じる。笑いの感覚を定義付けされるって辛いよね、個人のものなんだから。だからケンコバの懸念は凄く解る。「笑いに正解なんて無いやろが」って言いたいのかと。

でもお笑いだけじゃなくて、スマホが普及してから一般人がやたらと論ずるようになったなと思う。(このブログも他人事では無いが…)

 

何かを論じたい人は、参考に誰かの論文を読む。論文が重宝されるようになり、知識をつけた人が増えると、やたらと自己啓発する人が増えてくる。それに触発された人は、その知識を披露するためにまた論じだす。そうやって論ずる人が増えてくると、1つの正解みたいなものを確立したがります。いわゆる絶対的な答え「真理」というやつが生まれる。「〇〇とは〇〇だ!」みたいな本が書店に溢れる。

世の中にはそういった様々な真理(?)が溢れている。いいと思うんですよ、真理探求の精神は。相対主義者ばかりがのさばる世界なんて思考停止なだけでサイテーだ。でも、真理とされる物には常に反証があるべきだと思うのです。「その真理とは本当に真理なのか?」と問い続けなければ本質には迫れない。

ソクラテス無知の知を体現し、常に無知を自覚することで、人々へ真理を探究する情熱をかき立てた。でもネットでは真理が簡単に手に入るもの(手にしたと思ってる)だと言う人が多すぎる。真理はGoogleで検索したら見つかるようなものではないし、YouTubeでメンタリストが教えてくれるようなものじゃないでしょう。まして、その道のプロが言うことが必ずしも真理というわけでもないし。

ただ、成功者を信奉する人にとっては、その者の発言は絶対。ネットの一般化によって、楽して成功したい、簡単に勝馬に乗りたいと思ってる人が劇的に増えた気がする。だから、「〇〇が言ってることが絶対正しい!」みたいな極論を述べる人が増える。真理とはマウントを取るためにあるのではないのに。(そういう側面もあるけど)

安い真理ビジネスは「我々だけは解ってる」という厄介な信者を生み出して、排他的精神の拡大に繋がってる気がする。いいね!とかリツイートとかは、選民思想じみた物を簡単に助長するんだよな。もうこんな世の中やだよ、隠居してえ。

最近あまりにも「一見さんお断り」なバリケードが世の中に溢れ過ぎだと思いますね。別に知識が浅くてもよくない?

 

偉そうなことを言いつつ、自分の哲学知識のベースとなっているのはこちら。素晴らしい名著ですよ。