SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

ジコブンセキ

自分は自尊感情が極めて低い。自尊感情とは「自尊心」「自己肯定感」などなど。それにより遠慮がちな性格になる、周りに頼れない、ストレスを溜め込む(発散できない)などの問題が発生する。

その根本には、成功体験、何かを成し遂げたという自負が無いというところにある。むしろ“うまくいかない経験”の記憶ばかりが甦ってきて、努力することが億劫になり、無気力な状態へと移行する負の連鎖に陥る。

「映画を観る」「本を読む」「音楽を聞く」などで一時的な平静を保とうとするが、結局それらは投薬治療のようなもので、解決に至ることはない。むしろそれらで消費されていった「時間」がマイナス感情として蓄積、変換されていくことの方が多い。まあドーピングと副作用のような関係である。

やはり自分に足りないのは「自信」だと思う。何を成したかという実績が必要なのではなく、自分はこれだけのことが成せたんだという自負を感じることだ。いつも他人と自分を比較をしたとき、自分の方が勝っているなと心から思えることがない。それは低姿勢な気持ちでいようなどと心掛けている訳ではなく、自分を評価することを拒んでいるように思える。「自尊心は悪である」というくらいに、思考回路が遮断されてしまうような感覚だ。

自分の人生を振り返って、原因を紐解こうとすると、いくつか思い当たる節はある。もともと心はあまり強くない方で、傷つきやすい性格だとは思っているので、過去の喪失のトラウマや、取り返しのつかない失敗から起因しているものだとは思う。そしてそんな過去を未だに切り捨てられない自分が今の苦痛の原因なのだと感じる。

過去を切り捨てられないということは、当時の自分と今の自分が精神的にまだ地続きな状態にあり、成長していないということだ。「自分はあの頃と変わった」と言えるほどの変化が無い。人生を変えるような劇的な経験をしていない。むしろ、自分の人生を思い返し、岐路を定めるとしたら、悲しい出来事や失敗した経験ばかり浮かんでくる。今の自分に満足していないということは、「これまで自分が経験や選択と全てが失敗だった」と考えてしまうのも無理はないのかもしれない。

ただ、これは表裏一体でもあり、精神的に満たされている状況に自分を置くことができれば「あの経験も無駄ではなかった」と言えるようになるはずである。それが自尊感情が乏しい状態で大人になってしまった自分にできる最後の契機なのではないかと思っている。

今まで自分は「こんな苦しみは他の人と比べたら大したことない」と考えてきた。そう考えるように教育されてきたからしょうがない。でも落ちるとこまで落ちたら上からひょっこり出て来るしかない。もう自分は十分落ちたんじゃないだろうか?最近はそう思ってもいいような気がしてきた。まずは自分の苦痛を自分で認めて、周りを頼るところからやってみようかなと思う。

何者 (新潮文庫)

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