SOUTH PARKの住人

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ぽっと出の煉獄杏寿郎の生き様に心打たれた理由

(無限列車編のネタバレあり)

 

正直なところ、原作を読んだときは、炭治郎とほとんど関わりの無い煉獄さんが、いきなり戦って散ると言われても、作劇的にどうしてもカタルシスが足りないし、戦いの行動原理も読み解き辛いし、そこまでの話かなぁ、って思ってたんですよ。でも改めて劇場版をみて、ちょっと考え直しました。なんかこの話って、今の現代日本社会から失われたものが詰まってるなって。

 

そもそもの大前提として自分が持っていた「関わりの深い人だから死ぬと悲しい」って死生観自体が、とても冷たいことなのかなと思いまして。改めてそう考えたら、自分がいかに寂しい思考に覆われていたかと気付かされてしまった。自分と関係性の無い人のことをどれだけ慮ることができますかね、我々って。

 

自分にとって関係性の薄い者に対しての慈愛の精神。それこそが我々から失われた視点なんじゃないかなと。我々が諦めた境地に、煉獄杏寿郎が至り体現する、その姿が泣けるんだよな。その精神の美しさに心打たれるのだろうと考えると、なんと尊いテーマを扱っているのかと思いました。

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つまり煉獄さんはぽっと出だからこそ凄いのですよ。作者様が週間連載という限られたフィールドでそこまで想定しておられたかはわかりませんが、背景を深く描かれていないからこそ、あの死闘に挑む精神がより崇高に見えるのです。

 

我々なんて社会じゃ常にぽっと出の赤の他人同士なんだから、助ける義理もないでしょっていう発想が普通であって。もはや、今の自己責任論に塗れた現代人には、煉獄さんみたいな精神はファンタジーなんだけど。でも現代人は他人に対して無関心ではあるけど、心の奥底では本当は互いを慮る関係性を望んでいるからこそ、みんな煉獄杏寿郎の生き様に涙したのでしょう。この映画が刺さったのって、そういうヒーロー像が現代から失われているからじゃないですかね。「心を燃やせ」というその意味を、我々は今こそ胸に問うべきでしょうな。