SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

何がきっかけで人は変わってしまうのか

最近、「自分が変わったなー」と思ったりする話。

30代後半に差し掛かったというのに、思春期の高校生みたいなことを思い耽っている件。

 

この1年で転職して、今までとは全く異なる仕事に就いて、人間関係も生活リズムも大きく変わったんですが、最近自分の性格が少し尖ってきたなと感じるのです。

尖るといっても、すぐ怒るとか蹴るとかアウトローなものではなく、思考が鋭利になってきたというか、鮮明になってきたという感じで。

 

実はこれは良い傾向だと思っていまして、今までは正直に言うと、一体自分がどんなタイプなのか、どんなジャンルにカテゴライズされる人間なのか、俗に言う「自分が何者なのか説明できない」ってやつで、己のことがよく解らず、芯がないことがコンプレックスでした。でも最近は徐々に自分を理解できるようになってきたというか、余計なものが削ぎ落とされていく感覚があるのです。

 

これはある意味、この年齢に達して達観してしまったというか、ある程度自分の持つ力と出来る範囲を把握したというような感覚で、若い人が見たらつまらない人間になったと思われそうな思考かもしれないのですが。

でも自分を理解することって、物凄くストレスが減るんですよね。無茶な失敗をしなくなるとも言えるし、不要な刺激を身体に受ける回数が少なくなる。

 

たとえば、趣味を模索し続けて何にも本気でハマれないことよりも、1つのことにガッツリと没頭してる人の方が健全だと思います。「多趣味ってあらゆる場所を楽しめるんだから最高に幸せやん!」と思ってた時期もありましたが、やはり底の浅さという新たなコンプレックスが生じるんですよね。何事も広く浅くやることって、一見幸福そうに思えますが、結局自己肯定感には結びつきにくいんじゃないかって思いました。

 

あと、自分が何に腹が立つかとか、何に喜びを感じるかとか、喜怒哀楽のツボが明確になってきた気がします。それもストレス減になっていて、落ち着きも出てきたように感じるのです。「自分が自分をちゃんとコントロールできていると思える」ということは大切なのだなと思いました。

 

転職して、総合職っぽい仕事から、専門職っぽい仕事に変わったのは大きいと思ってて。良くも悪くも「自分は自分、他人は他人」という考えがベースにあるので、アイデンティティがぐらついていると、ただ情緒不安定な奴に見えてしまいます。前職では、大人数の様々な思惑の中で気を張り巡らすような環境だったので、「自分を相手に合わせる」ことが必須でした。結局それに慣れちゃって、「俺って何がしたいんだろう?」という、自分を疑う思考に陥ってしまってました。今思えばそれは本当にストレスだったなぁ、と。転職を決意した一番の理由はここでしたね。

 

だから今の他人に干渉しすぎない(お互いに)職場環境は精神衛生上の心の居心地がよいです。まあ新しい問題も生じるんですが、プラマイプラにはなってるかなと。昔の知人から見たら、素っ気なく映ってるかもですね。でもそんなこともあんまり気になんなくなりましたな。

 

「性格変えたほうがいいかもよ」という歌詞の傲慢さが鼻に付いた時期もありましたが、今やそんなのも温かい目で見れますよ(´∀`)