SOUTH PARKの住人

1日1記事毎日更新!(という目標) 映画好きです。

自分が続いていない感覚

5年前の自分は、もう今とは別の個体だ。思考が繋がっていない感覚がする。当時の自分がどんな考えでそういう行動をとっていたかどうかが、全く思い出せない。物の価値観なども今とは全然違う。

 

例えば、他人にスケジュールや予定をすべて組まれたような、どこを巡るかどこに泊まるかも分からない旅行に3泊4日もかけて行くなんて、今じゃ考えられない。今ならきっと不安だから色々調べ倒す。でも、たった6〜7年前の自分は何の疑問も無く、1つもググることも無く、身を委ねていた。やっぱり今の自分とは別人だ。今は随分と懐疑的な性格になってしまった。当時の写真を見ても、当時の自分が何を考えてたか分からない。

 

でもこれは好意的に見ると、精神性の習熟度が増したとも言える。もう記憶から消えた未熟だった時期と現在の自分には大きな隔たりがあり、その隔たりを超えてしまう以前のことをもう今は思い出せない。これはきっと成長だ。子供の頃、補助輪無しで自転車に乗るのにめちゃくちゃ苦戦したのに、ある日突然乗れるようになって、そこからは何故これまでずっと自転車に乗れなかったのか、その理由を全く思い出せなくなった。それは恐らくもう戻ることはない、不可逆の成長を遂げてしまったからだ。

 

自分の過去に全く理解できない別の自分が存在するという感覚は興味深い。時を経たことで全て上書きされてしまってるために、当時の自分を知っている旧友や親戚とどう接したらいいかわからない。私はもうあなたが知っている私ではないのだ。正直どう変わってしまったかも、よく分からない。申し訳無く思うので、できるだけ会わないようにしている。"昔の自分の友達"であって今の自分の友達ではない気がしてしまう。

 

ただ、かつての自分と今の自分の共通点や同一性を認識できて一繋ぎにできるのは他人だけあり、その中にこそ、真のアイデンティティというものが存在するのだと思う。だからこそ、他人に評価されるというのは重要だ。自分で自分を推し量るには時間の限界が存在するが、第三者であればそれは難しくない。家族や伴侶など、自分を常に評価してくれる存在が身近にいて良好な関係を築けている人間は、きっと筋の通った性格になっているのだろうな。