SOUTH PARKの住人

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緩やかに終わりを迎えたスター・ウォーズシリーズに馳せる想い

(※この記事には暗黒面要素が多く含まれております)


f:id:southparks:20191225141037j:image(メリークリスマス)

 

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』観ました。

けども、「言いたいことが山ほどあるわ!」という程アツくもなれない自分。なんだか穏やかな死を迎えたような感覚。結局、今回の新三部作自体にほとんどノレなかったなぁ、というのが今の率直な気持ち。

そもそも『スター・ウォーズ』シリーズ自体、ある時点で少し冷めていたのです。それはプリクエルが完結して、その後のコアなスター・ウォーズファンによるネット等での評価を知ったあたりか。

プリクエルを旧三部作派が躍起になって排他しようとしている状況が、自分の中ではネタにできる域を超えていた。自分は今でも自信を持って言うが、プリクエルが大好きだ。斬新なビジュアル、戦闘シーン、キャラクターの魅力は今も色褪せていない。だって、ルーカスが描くスター・ウォーズが正史なわけですよ。ルーカスが創ったものがスター・ウォーズそのものなのよ。ルーカスが造物主なわけですよ。プリクエルがつまらんってことは、スター・ウォーズがつまらんシリーズだって言ってるのと同じでしょうよ。どんだけプリクエルだけを駄作だと認定して旧三部作だけを持ち上げたところで、お前はその駄作シリーズのファンでしかない。内容の好き嫌いはあって然るべきだとは思うが、作品ごと排他しようとするのはお門違いにも程がある。造物主に対しての批判は、もう作品の存在否定なのではなかろうか。

それを理解した上でプリクエルが認められない人は、文句垂れずにスター・ウォーズを卒業しているわけですよ。自分が気に入った内容しか認めないとか、そんな幼稚な理論がまかり通るような民度の低い奴らがファンの中核を担っているようなシリーズだと気づいた瞬間、俺は少し冷めたわけですね。

ただ、スター・ウォーズが嫌いになるというほどではなく、そこからはシークエル(新三部作)に関しても、どこか距離を置いたような、遠くを見つめるような感覚で向き合いましたとさ。与えられる映像だけを素直に享受しようとだけ思って。

けど結局『フォースの覚醒』は、先述した排他的な思想者たちのゴキゲンを取るだけに終止している印象が強く、金を巻き上げるための懐古ビジネスコンテンツに成り下がっていたもんだからショックだった。スター・ウォーズという歴史的、文化的にも価値のある資産を、マネタイズ目的だけで徐に消費し続けるディズニーへの嫌悪が、作品の内容より先行してしまい脳が拒絶反応を起こしてしまいました。

ただ、『最後のジェダイ』は懐古ファンを喜ばせようとするだけのおべんちゃらが少なく、新しい世界観を見せてくれたので結構楽しめました。が、今回の『スカイウォーカーの夜明け』では、またもやプリクエルを亡き者にしようとした時の流れと同じような由々しき方向転換を行い、声の大きい奴らに迎合した創造性の希薄な志の無い作品になってしまったと感じる。正直、振り回された出演者たちが可哀想でならない。

でもこうやって新三部作を受け入れられず批判することは、かつての古参ファンによるプリクエルへの排他的批判とそんなに変わらないのかもしれない。ルーカスフィルムをディズニーに売却したのはルーカスその人なのだから。そう考えるとただただ虚しい。スター・ウォーズとは、どう頑張っても素直に楽しむことのできなくなってしまった呪われたシリーズなのだなと感じる。そんな状況です。

 

ちなみに『スカイウォーカーの夜明け』も良かったところはあったので、ちゃんとした感想は別記事で。

 

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